1919年6月28日、第一次世界大戦のドイツに関する講和条約、ヴェルサイユ条約が締結され、翌年1月10日同条約が発効。ヴェルサイユ体制が成立した。その結果、ドイツやオーストリアは領土の一部を喪失し、それらは民族自決主義のもとで誕生したポーランド、チェコスロヴァキア、リトアニアなどの領土に組み込まれた。しかしそれらの領域には多数のドイツ系住民が居住し、少数民族の立場に追いやられたドイツ系住民処遇問題は、新たな民族紛争の火種となる可能性を持っていた。また、ドイツはヴェルサイユ条約において巨額の戦争賠償を課せられた。1923年1月11日、フランスが賠償金支払いの滞りを理由にルール占領を強行し、ドイツでは社会不安が引き起こされ、ハイパーインフレーションが発生。マルク紙幣の価値は戦前の1兆分の1にまで下落した。
アメリカ合衆国は、1920年代にはイギリスに代わって世界最大の工業国としての地位を確立し、第一次世界大戦後の好景気を謳歌していた。しかし1929年秋、アメリカ経済は生産過剰に陥り、それに先立つ農業不況の慢性化や合理化による雇用抑制と複合して同年10月24日、株価が大暴落。ヨーロッパに飛び火して世界恐慌へと発展した。英仏両国はその対策としてブロック経済体制を築き、アメリカはニューディール政策を打ち出してこれを乗り越えようとした。しかし、広大な植民地市場や豊富な資源を持たないドイツやイタリアではこのような解決策は不可能だった。両国の国民は絶望感と被害者意識をつのらせ、ファシズム、ナチズムの運動が勢力を得る下地が形作られた[2]。
イタリアにおいて、ファシズムの政治体制が最初に形成された。第一次世界大戦後、経済が悪化し政情不安に陥っていたイタリアでは、1922年10月28日、ファシスト党党首ベニート・ムッソリーニがローマ進軍を行い、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の協力もあって権力を獲得した。1925年、議会制民主主義を潰し、1935年10月、エチオピア侵略を進め、それが元で1937年12月11に国際連盟を脱退した。
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ドイツでは1933年1月30日、ヴェルサイユ体制打破とナチズムを掲げるアドルフ・ヒトラーが首相に就任。翌1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領が死去すると総統に就任。独裁的権力を掌握した。ヒトラーは経済的には軍備増強と公共事業により総需要を喚起し世界恐慌を克服した。国際関係では、1933年10月19日国際連盟を脱退。1935年3月16日、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言。1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させた。同年10月、イタリアとの間に「ベルリン・ローマ枢軸」の協定が結ばれ、同年11月25日には日本と日独防共協定を結び、翌1937年11月にはイタリアがその協定に参加。その後、これら3国の関係は日独伊三国軍事同盟へと発展してゆく。
日本は米英との協調外交を指向していたが、満洲、内モンゴル(満蒙)の支配権を巡り次第に対立するようになる。日本は昭和金融恐慌以後の苦境からの脱出を図り、円ブロック形成・拡大するため大陸進出を推進した。1931年9月18日、関東軍の謀略による柳条湖事件を契機に満州事変が勃発し、1932年3月1日、日本の傀儡政権満州国を樹立した。それが元で1933年3月27日には国際連盟を脱退。満洲事変後の1933年5月31日、日本は中国と停戦協定を結ぶが、1937年7月7日、北京郊外で盧溝橋事件が発生し日中戦争(日華事変)が勃発した。米英は日本の行動に反発し、日本は次第にナチス・ドイツへの接近を強めていった。